プロフィール

連盟理事長 範士10段 中村清祐 

 

自己紹介: 生年月日: 1941年2月10日
出身地: 沖縄県八重瀬町字東風平

 

私は4歳の時終戦を迎えました。米軍の爆弾が自宅の庭に落ち、母は、私の目の前で爆風に吹き飛ばされて、亡くなりました。生後3か月の乳飲み子の妹を、栄養失調で亡くしました。私も破片が頭に当たったのですが、奇跡的に助かった。

 広島、長崎に原爆を落とされ、敗戦となり、沖縄は米軍による植民地になった。鉄の爆風を浴び、焼け野原となり、戦後処理中で、未だ立ち上がれない時期の沖縄南部の悪い環境の中で、子供時代を過ごした。

 家は貧しく、食糧難の時代で、体や意志が弱く、健康にもすぐれず、小学生から中学生にかけて、字東風平 豊年祭りの棒術「津堅棒」と唐手佐久川棒術を学び体力をつけた。

毎日がひもじい思いで育った。

 小学生のころ、中学校の中里常永先生から琉球王朝時代の伝統武道の話をよく聞かされていた、その話を聞くのがとても楽しみであった。

 卒業後、印刷や配達等の外交員、バスガイドなどいろいろな仕事に就いた。給料が高いと言うので、本土就職をしたが、いじめ等に会い途中で挫折して、沖縄に帰ってきた。当時の給料は4,000円で、3年で9,000円に上がった。エリート会社員が13,800円で、フランク永井の歌「13,800円」が流行した。

 

 一から出直すために、意思を強く持ちたい、もっと精神を鍛えたいと思うようになり、そのためには何をすれば良いか思案していたところ、以前に中学校の先生がよく話していた空手武道の大家、仲里常延先生のことを思い出した。

 21歳となり、結婚もして子供、長男も産まれていた。 その頃は体が弱くて、生活を支え、子供を育てるのに自信がなかった、嫁と子供のためにも意思が強く健康でなくてはならない、と考え空手をやる決意をした。

 沖縄には、剛柔流、小林流、松林流、少林寺流、上地流、一心流等多数の流派がありどれを選んでいいのか分からずにいた。初めは他流を習ったが、昭和38年、小林流志道館本部、宮平道場の基本理念「合理合法、共存共栄」に感銘し、又、宮平先生の温厚な人柄にも惚れて、ここに入門した。

 人生で基本になる心を、六論修養学、武の七徳、教養学、心技体学を学ぶ。

 その後、好景気に恵まれ仕事もうまくいき、空手道場も開設し、仕事と空手の両方で成功を収めて、現在にいたっている。

 尊敬し恩師である宮平先生の人生訓及び空手訓は、「威而不猛」”いありてたけからず”を信条としていることで、真の武道家は、決して威張ったりしない、威厳や風格はあるが、やさしく謙虚である、という意味である。私は、青少年健全育成を目指し、世界に羽ばたく沖縄の先人達、伝統武道家の心を受け継いでいくことを目標にして、指導する。

 

昭和57年5月      糸満市 有限会社東商事設立

昭和58年10月    中村ビル4F 糸満道場開設

平成5年6月      中村ビル4F 中村道場開設

平成16年5月30日    9段へ昇進 沖縄小林流空手道協会

平成20年12月21日    8段へ昇進 社団法人沖縄古武道連盟

平成25年5月24日   一般社団法人沖縄伝統志道館空手古武国際連盟 設立

           理事長 就任

平成26年5月9日    10段へ昇進 一般社団法人沖縄伝統志道館空手古武術国際連盟